皆さんおはようございます。
台風14合の被害は予想以上ですね。かなり荒れ狂っているといった印象です。みなさんお気をつけください。
さて本題に入ります。
志喜屋グスクを後にした自分は、知念村役場向かいのAコープで休憩したりしつつ、知念グスクをたどり着きました。
午後一時半ごろです。
途中でシーサーがあったりしましたので写真に収めます。
さて、この入り口を利用したのですが、実はここは裏に当たる部分だったようです。後で知りましたが・・・
広い道を進んでいきます。思ったより人が少ないな・・・と思ったのはただ単にここまで来る人が少ない、というだけのことでした。
城壁が見えました。さすがに立派な石積みです。この辺りは人がいます。
しかし思ったより規模が小さいですが、これは後で築かれた部分だからでしょうか・・・
こちら側の部分は新城と呼ばれています。アーチ門は二つあり正門も裏門になっています。
正門から新城内に入ってみます。
やはり広いとはいえません。糸数グスク並(無理だ)の広さだったらすごかったのですが・・・
新城内にはこのような見晴らしのいい場所があります。多分ここから拝みなどを行っていたのでしょう。
新城の外側にも様々な遺構が見受けられます。
ノロの屋敷跡ですとか、右のも、建物のあとのようですね。
ちなみにこのグスクの古い部分、古城は森の中になっているようです。自分が見た場所は何も見えませんでしたが、場所によっては石積みも確認できるようです。これは後で知ったことですが・・・
他にも何かあるようですので歩いてみます。
なんだか畑?のようなものまで見られますね・・・パパイヤとか・・・
さらに進むと何か見えます。
標識の文字が読めませんが・・・「稲発祥の地」とか書かれていたはずです。
沖縄で初めて稲が植えられて、ということなんでしょうか・・・
古城は天孫子が築いたといわれています。それだけ古く、神聖な場所と言う事なのでしょう。
新城は第二尚氏三代目尚真王の異母兄弟である内間大親(うちまうふや)によって築かれた、ということですから、グスクとしてはかなり新しい部類になります。
いずれにせよ宗教的な儀式を執り行うための場所であったのでしょうから、時代的に考えても軍事的な意味合いは無かったのでしょう。そのようなことを考えつつ自分は次の予定地へと向かいました。
コメント
知念グスクは私でも名前を聞いたことがあるだけあ…
ノロの屋敷がそばにあるってことはノロって各グスクに1人ずついたりとかしたのかなぁ?
それとも知念グスクがそういう役割を多く担う場所だったとかですかねぇ。
>まぁきぃさん
そうですね、このグスクが特別だったと考えたほうが良いでしょう。
このグスクはかつて国王とノロの頂点である聞得大君が東御廻(あがりうまーい)する際の拝所の一つとされ、そういった場所だからこそ常駐していたのでしょう。
なるほどー。
グスクによって特徴がそれぞれあって面白いですね^-^
>まぁきぃさん
そうですね。
それでこそ回りがいがあります。