皆さんこんにちは、今日朝起きると、10時間近く寝ていました。いつもならそんなに寝れば頭痛起こしているところですが、そんなことも無くさわやかな気分でした。それだけ疲れていたのでしょう。腿の辺りが筋肉痛気味ですが・・・
さて、昨日回ったグスクロードの第二弾は『玉城グスク』です。それにしても『たまぐすくグスク』では語呂が悪いように思えます。『玉城城跡』というべきでしょうか、もしかしたらもともとは『たまグスク』だったという可能性も無いとは言い切れないかもしれませんが、それは色々調べる必要があるかもしれません。自分としてはどちらでもいいですが・・・
さて、少しハードな森林浴といった感じの『垣花グスク』から出たときですが、少し心配なことがありました。携帯のバッテリーが少なくなっていることです。なにせデジカメなぞ買う余裕が無く、携帯で代用しているわけですから心配ではありましたが、とりあえず電源切って節約です。
その垣花グスクから県道137号に出て、南へ少し進むと三叉路になっています。ここにはグスクロードの各グスクの方向と距離を示す標識があります。玉城城跡へ進むにはこの三叉路を右へ曲がります。ちなみに『ミントン城跡 0.1km』とありますが昨日も書いたとおり見つけられませんでした。
三叉路を曲がって、まっすぐ進みますと、『玉城少年自然の家』があります。玉城城跡はここと敷地が隣り合う形となっていますので、すぐに見つけられました。
道からも見えるように案内板があります。どうやらここが駐車スペースのようです。
ちゃんとした駐車スペースがあるだけましですが・・・
車を降りると少し歩くことになりますが、道の両側にロープが張られていますので迷うことはありません。
ロープの外側には遺構のようなものが見受けられます。
そして、ここからが本番です。この嫌でも時代を感じてしまう石段を登りますが、その右側は石垣交じりの斜面になっていまして、もし落ちればただで済みそうにありません。
これはちょっとした登山です。思ったより体力を使います。
そして石段を登り終えますと、左側に突然城門が現れます。
岩をくりぬいたようなアーチ門はこのグスクの象徴といっても良いかもしれません。ついでに門の前から下を見下ろしてみます。
いやぁーすごい景色です。もちろん海まで見えます。
このグスクの城主はこの景色をみてどう思っていたのだろうか・・・などと考えてしまいます。
この高さですから、城の分類上では紛れも無く山城になるかと思います。
まさに難攻不落ですね・・・
城門の内側は思ったよりも開けていて整然としています。
拝所のようなものも見受けられます。
さて、このグスクの築城年代は不明です。最も古いグスクの一つかもしれません。伝承は神話時代にまでさかのぼります。案内板によれば、沖縄開闢の神、アマミキヨが築き、その子孫の天孫子が城主となった、とあります。
ついでに、案内板よれば戦後、このグスクから基地建設の資材として石が運び出された。とかかれていますが、まさか上からじゃないですよね・・・だとすればすごいことですが、多分城下にも遺構があってそこから持っていったのでしょう。
他にもこのグスクに伝わる伝承としては舜天王統三代目の義本王が英祖に禅譲した後、このグスクで焼身自殺を図ろうとしたが、雨が降って助かったとか、グスク時代では高嶺按司(高嶺は糸満の高嶺でしょうか、だとすれば、後の南山かも知れません)に攻められた玉城按司が兵糧攻めに合い、(そりゃ力ずくでは難しいです)水がなくなりそうななったため、白米で馬を洗い、水があるように見せかけたが、結局攻められて滅びた。(この白米伝説というのは複数のグスクに伝わっているようなので怪しいです)といったものがあります。
さて、霊場でもあるこのグスク、訪れるときには身軽がいいと思います・・・というわけでして、日曜日に回ったグスクロードは後一箇所です。
コメント
うわぁ、すごく高い場所にあるんですね、玉城グス…
グスクはどこもそうですが、見晴らしの良いところにありますよねぇ。城を守るためもあると思いますが、やっぱり王様が住むところだから最高のロケーションなんでしょうか。私は初めて首里城に立って景色を見た時「首里の王様がここに城をつくったわけが分かるような気がする・・」って思いました。
それにしても何百年も昔の人がこんな場所にこんな立派な城を造ったっていうことに感心してしまいました。
>まぁきぃさん
確かにそうですね。こんなところにグスクを築く労力というのは生半可なものではないでしょうね。
いままでは写真で門を見ただけでしたから、周りがこんなことになっている、というのが分かりませんでした。実際に見てみて、霊場といわれているのも分かる気がしました。
なんにせよ高いところは安定さえしていれば気持ちが良いです。(安定していない所は苦手)