26/2/21 村岡城

この日は少し遅めに外出してJR東海道線藤沢駅から東北東へ2kmほどの場所にある村岡城址公園へ向かいました。

概要

この村岡城址公園はその名の通り村岡城の跡とされている場所ですが、明確な遺構は見受けられません。

村岡城の歴史

村岡城は、平安時代の人物である 平良文の居館であったとする伝承があります。
良文は桓武平氏の祖ともされる平高望の子で、後に千葉氏・上総氏・秩父氏・三浦氏などの祖となった人物とされ、村岡五郎とも呼ばれていました。
ただし、良文の居館の正確な位置を示す同時代史料は確認されておらず、現在の村岡城跡をその居館跡とする説は後世の伝承や地名に基づく比定と見られています。
仮にこの地が良文の居館であったとしても、それは平安時代の簡素な武士の館であってと思われます。そのため、現在まで明確な遺構が残っていないとしても不思議ではありません。
一方、戦国時代になるとこの周辺には後北条氏の築いた高谷砦があったとされ、二伝寺砦などとともに玉縄城の外郭拠点として機能していた可能性が指摘されています。ただし高谷砦の正確な位置については諸説あり、現在の城址公園がその中心であったかどうかは明確ではありません。

感想・考察など

現在の城址公園は大きく整備されており、城跡碑や三日月井跡の碑などを除くと、全体としては普通の公園のような景観になっています。
公園内にはいくつかの段差が見られますが、これが郭の名残なのか、それとも公園造成によるものなのかは判断が難しいところです。
仮に平良文の居館がこの付近にあったとしても、平安時代の館であれば大規模な城郭ではなく、自然地形を利用した小規模な館であった可能性が高いと思われます。公園南側の斜面は比較的緩やかな自然地形に見えますが、当時の居館としてはその程度の防御でも不自然ではありません。しかし、戦国時代に後北条氏が高谷砦を築いたのであれば、防御施設の整備が行われたはずであり、現在の城址公園周辺がその中心部であったとはやや考えにくいようにも感じます。
周辺地形などから考えると、砦は長福寺から高谷大神宮にかけての範囲にあった可能性があるのではないかと推測しています。もし再訪する機会があれば、その周辺を確認してみたいところです。

参考

現地説明板

神奈川の城 下巻

古城址探訪

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