この日は遅めに外出して京成千原線ちはら台駅から南東へ2.6kmほどの場所にある押沼神社付近へ向かいました。
概要
押沼神社の北には押沼城と呼ばれる城館があったとされ、遺構らしきものが僅かに見受けられます。





「城の内」と呼ばれる場所の南に当たります。



押沼城歴史
この城の歴史は定かで無い様です。
土気酒井氏の家臣だったという三橋氏との関連があるとされています。
また戦国時代、押沼は高田城主高田直勝の所領だったともされ、その関係も考えられます。
感想など
押沼地区を見下ろす押沼神社では無く県道を挟んで北の宅地内が城域であったとされています。
城の中心であったと思われる「城ノ内」には長屋門を備えた古そうな民家があったりと何となく雰囲気らしきものは感じられます。
また集落北東に「中屋敷」という地名が残っているなど、集落全体が城域だったのかも知れません。
参考
石川城郭跡 (市原市文化財センター調査報告書 ; 第2集)
市原市史 中巻
