この日は昼過ぎに外出して、京王相模原線京王堀之内駅から北西に1.8kmほど離れている永林寺へ向かいました。
概要
この永林寺の裏手には戦国時代に武蔵守護代であった大石定久が居を置いた由木城の跡だったとされていますが、現在遺構は見受けられません。
由木城散策
永林寺~城域

最初に建てられたのは戦国時代の1546年だそうです。





城域




由木城歴史
この城が築かれた時期は不詳ですが、武蔵七党横山党の由木氏によって築かれたと云われている様です。
1213年、和田合戦で横山党の多くが和田方として参戦した事で没落し、横山荘は大江広元に与えられた後、その末裔である長井氏が領有した事で当城も一門が城主として入城します。
室町時代中期、城主長井広房は片倉城に居を移したと云います。
戦国時代に入ると長井氏は扇谷上杉方に属しますが、山内上杉方の大石氏に押されて没落していきます。
その後高月城主大石定重の子である定久が居を置いたそうです。
1521年には定重定久親子は滝山城を築き、定重は居を移しています。
1527年、定久は家督を継ぎ滝山城に居を移したため、城は廃城となった様です。城跡は1538年に定久が永林寺寺域を制定したとあり、この頃に永林寺が築造したと思われます。
感想
鎌倉時代から戦国時代まで断続的に用いられたとされている城ですが、現在遺構は見受けられません。
現地説明板を見ると永林寺境内に館が置かれ、現在城域とされている境内裏手は詰城といった印象で、元々比較的簡易的な造りだったのかも知れません。
参考
現地説明板(大石源左衛門尉定久公墓所)
日本城郭全集 4
日本城郭大系 第5巻(由木氏館)
八王子市史 下巻