山田グスク本体は下記記事で紹介しています。
山田グスクの前にその周りの史跡を一通り。
国道58号から山田グスクへの道へ入ると標識や案内板が。
右の写真はグスク方面を見たもの、あの辺りに読谷山集落があったのだとか。
山田谷川の石矼
この辺りの道はかつて使用されていた「歴史の道」で石矼付近の案内板に付近の史跡の地図や「国頭方面西海道」について触れています。
石矼へ降りる道は石段になっていますが、これは遺構の復元などではないそうです。
石矼から下を見下ろしてみます。
凹んだ部分がかつて水浴び場だった場所でしょうか?石矼の反対側の道には一部石が敷かれています。
久良波大主の墓
石矼入り口から久良波大主の墓へ向かう道は林の中を通ります、たいした距離でありませんのですぐつきます。
ただ久良波大主がどういう人物なのかは良くわかりません。
護佐丸父祖の墓
石矼入り口から護佐丸父祖の墓へ向かいます。
この道の左手側にグスクがあるのですが、この辺りはグスク以外の史跡は案内はしっかりしていますが、グスクのみはそういったものがありません。
墓へは石段を登っていきます。
代々の山田按司の墓なのでしょうか・・・ちなみにこの墓は崖に作られています。
グスク本体は次回紹介します。
コメント
今日はちょっとした墓特集ですね。
沖縄は昔は風葬か何かだったんですか?
中国のどこかでは昔は人がなくなると崖に遺体を置いて風葬(鳥葬?ひー>-<)してたと聞いたことがあります。沖縄もそうだったんですかね?
しかしあの護佐丸の父祖の墓とはいえ、やはり尚王の墓とはえらい違いですね・・。
>まぁきぃさん
多分風葬ではなかったと思います、昔は火葬せずにそのまま墓に入れていたという風に聞いたことはあります。
護佐丸自身は沖縄の歴史上有名な人物でしたが、身分としては代々一按司だった訳ですので、尚氏の墓と比べると見劣りするでしょうね。