この日は昼過ぎに外出して、東武日光線板倉東洋大前駅から西へ2.5kmほどの場所にある長柄神社へ向かいました。
概要
この周辺は板倉城の跡とされている様ですが、明確な遺構は見受けられません。
板倉城散策


城塁などの面影が残っているかも知れませんが詳細は分かりません。


板倉城歴史
この城が築かれた時期は不詳ですが、戦国時代には館林城主赤井氏に仕える真下越前守範宗が城主であったと云われている様です。
範宗は館林城を築いたとも云い伝えられている赤井照光の頃から仕えたと云われ、赤井七騎の一人に数えられるとも云われているそうですが、その後後北条氏に従ったと思われ、1590年の小田原の役に際して館林城の防備に当たったとされている様です。
館林城落城後の範宗については定かでありませんが、城は廃城になったそうです。
感想など
長柄神社から北が城域と見られている様ですが、携帯ナビの設定を間違えて通り過ぎてしまいました。城域自体は明確な遺構は見受けられませんが、何となく地勢がそれらしいとは感じられます。
城域の北、高台下は水田となっていますが、明治前期の迅速地図によれば板倉沼と呼ばれる沼地だった様です。また城域の南は谷田川とそれに伴う湿地で東も板倉沼と谷田川に挟まれて湿地が点在がちだったりと半島状に近い地勢だったようです。
参考
板倉町史 通史 上巻
館林町誌稿 第1輯
上野人物志 上巻