こんばんは。
久々に「不定期 沖縄の歴史」を再開します。まぁ、最初に「不定期」と断っていますので・・・
さて、最初はグスク時代について記事にしようかと思っていましたが、いっそのことグスク時代とグスクに関する記事は分けたほうが良いと判断しました。
今回参考にしたのは安里進氏のグスクから御嶽へです。
グスク時代と言うのは11世紀後半から15世紀前半までを言うそうで、これは三山時代も含まれています。三山時代もグスクは築かれていますので、そういった意味合いなのでしょう。
1970年代、沖縄の学者の間では「グスク論争」と呼ばれる議論がなされたそうで、これはグスクの役割について按司の居城説と聖域説に分かれて論争がなされたようです。
これに秩序をつけたのが高良倉吉氏のグスクモデルで、そのまま述べると少し難しいですので、他の話とまとめて簡単に述べます。
・グスク時代初期-集落内に聖域を持つ高地性集落(防御集落)が発生(小型グスク)
・小型グスク同士の抗争が発生
・勝利したグスクは小型グスクを核に次第に発展し按司の居城へ(大型グスク)
・敗北したグスクはグスク付近に殿を開き、集落が次第に下へ広がっていく(集落の形成)
・集落が外へ広がったグスクは聖域として残る(聖域としてのグスク)
・集落が外へ広がったグスクの中には墓や砦として使われるものもあります(特殊なグスク)
・さらに特殊な例としては単に住居としてのグスクや倉庫目的のグスクもありますがこれはかなり小規模です。
グスク時代に築かれたグスクのほとんどが第一尚氏の統一により廃城となり、第二尚氏の頃に使用された大型グスクは王族が配された今帰仁、浦添の二ヶ所のみだそうです。この頃に築かれたグスクといえば聖域としての役割を持たされた知念グスクの新城ぐらいのものでしょう。
そういえば以前訪れた座喜味グスクは統一後に築かれた軍事的目的のグスクです、ここには拝所が建物跡側の一ヶ所だけでしたが、これは小型グスク→大型グスクという経緯を踏んでいないためと言うことになります。
大体こんなところでしょう。「不定期 沖縄の歴史」の次回はグスク時代の動向、と言うことになると思います・・・多分。
いつになるかは相変わらず不明ですが・・・
コメント
グスクにも色々あるんですね。沖縄にはこうやって…
それにしても歴史を紐解く作業っていうのはすごく大変だけど面白そうですね。
>まぁきぃさん
確かに沖縄の場合は破壊されている例は少ないかもしれませんね。
本土の「城」と沖縄の「グスク」では成り立ちが違うとはいえ、数が全く異なります。
その数のためか調査、あるいは整備が進んでいないのかもしれません。
ただ沖縄の場合は資料が非常に少ないですね・・・その為歴史も分りにくい部分があり、「諸説あり」が多い印象です。
グスクに関して言えばできれば自分のような素人でもちゃんとたどり着けて、散策できるようになって欲しいと思います。(道は少しぐらいきつくても仕方ありませんが・・・)