この日は昼過ぎに外出して、JR矢部駅から北に1.4kmほどの場所にある「上矢部の土塁」へ向かいました。
概要
この土塁は矢部氏館の僅かに残った遺構だそうです。
矢部氏館散策
(左)「上矢部の土塁」を上矢部交差点付近から見たもの。
(右)説明板。
(左)少しアップして撮ったもの。館は土塁の西側にあったそうで、土塁の右手側は空堀跡と思われます。
(右)北側から見た土塁。右手側に見えるのは上矢部交差点です。
館跡の北にある御嶽神社は元々館を築いた矢部義兼が裏鬼門として勧請されたのだそうです。
矢部氏館歴史
この館は武蔵七党横山党の一つである矢部氏の館であったとされています。
館を築いた矢部義兼は横山孝兼の孫と言われているようです。
館が築かれた時期ですが、鎌倉幕府が開かれた建久年間に義兼が御嶽神社を勧請していますので、同時期か少し前では無いかと思われます。
矢部氏は1213年の和田合戦で、横山党宗家の横山時兼らと共に和田氏側に付いた事で敗れて没落したと思われます。
感想
遺構として残っているのは「上矢部の土塁」のみでそれ以外は宅地化しています。
御嶽神社周辺もそれらしい面影などは残っていない状態です。
関連して上矢部交差点の南に和田合戦で戦死した矢部氏を供養するために板碑が建てられているようです。(上矢部板碑)
しかしその時は関連ある物と思わず見落としてしまいました。
参考
現地説明板
古城址探訪