8/25(夏休み二日目)

せっかくの連休だから遠出したい、そういう訳この日は神奈川は横浜まで行ってきました。

横浜市港北区。
京浜東北線から横浜線へ乗り換えて小机駅下車。
そこから徒歩15分ほどで目的地の小机城跡に到着しました。
「小机市民の森」として整備されています。

城跡の斜面を登っていきなり目に付いたのが目の前に広がる空堀。

とりあえず堀底に降りて東の二の丸方面へ向かいますが、その前に櫓台跡を見た後に井楼櫓跡、二の丸、堀底、本丸跡、堀底と散策しかなりの結構な割合で空堀跡を散策していたわけです。

Kodukue_070 Kodukue_006 (左)城跡遠景。横浜市と言ってもこの辺りは田園風景です。

(中)城跡案内板。

(右)入り口から進入した目の前に横たわる空堀。降りなくても散策は出来ますが・・・

Kodukue_018

(左)空堀を進むと目の前に櫓台が・・・左手(北)へ行く事も出来ますが、櫓台の南側を横切ります。

(右)櫓台の上。かなり高い位置にあります。

遺構も残っていて西側を第三京浜道路が貫通しているのを除けば主要部分の破壊は少ないといえます。

規模的にはそれほど大きくありませんが、個人的には見所が結構あって楽しめました。おかげで一時間近く散策していました。

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(左)二の丸の南にある井楼跡の土塁。

(中)二の丸跡、左手側には土塁があります。

(右)二の丸の西、櫓台の北にある空堀。北側から櫓台を見ています、正面が櫓台、左手が二の丸方面、右手側が本丸。

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(左)本丸南側の土橋、向かいには土塁と門があります。実は城跡入り口からすぐにいけます。

(右)最初に降りた空堀付近から本丸の土橋を見たところ、右側のが土橋です。

この城は元々室町時代に関東管領上杉氏によって築かれたと言われているようです。1476年に家臣の長尾景春が反乱を起こし、太田道灌によって鎮圧された春景側の豊島泰経が最後に立てこもったと言われています。

結局この城も道灌によって陥落、しばらく廃城になります。

その後後北条氏の北条氏綱により修復され、後北条氏家臣の笠原信為が城主として城下を発展させたそうです。

その後北条氏秀、氏堯らが城主になりますが後北条氏の滅亡により廃城となります。

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