この日は遅めに外出し、小田急江ノ島線片瀬江ノ島駅から南東へ750m弱の場所にある小動神社へ向かいました。
概要
この境内先端部は幕末に川越藩によって築かれた八王子山台場(八王子山遠見番所)の跡とされていますが、遺構は見受けられませんでした。
八王子山台場散策








八王子山台場歴史
小動神社が建っている小動岬(八王子山)には享保年間に江戸湾警備の一環として設置された八王子山遠見番所が設置されていた様です。
江戸湾防備の必要性が高まって来ると、1842年から43年に掛けて腰越村は烏山藩から川越藩に移された上で川越藩に防備強化として台場築造が命じられます。
当初火砲の無い監視所である遠見番所でしたが、1844年から45年に掛けて火砲を備えた台場が併設された様です。
1846年、ペリー来航に7年先んじてアメリカのビッドル艦隊が来航すると警備が固められた模様です。この時の負担が川越藩には大きかったとされ、川越藩が幕府に嘆願したことで、台場の防備は彦根藩が担当することになった様です。
その後明治期に入った際に台場は廃止されたと思われます。
感想
八王子山とも呼ばれる小動岬に台場が築かれていたとされています。
小動神社境内南側が遠見番所、台場の跡とされています。
しかし境内の北西と南東に高台があるもののどの様な配置だったのかは不詳です。
ただ地形図と古図を見ると北西は最高所であるものの狭く、南東は広くこちらが主体であったと見られている様ですがどちらの高台も進入出来ないので現況の詳細は確認出来ませんが遺構は残っていないとされています。
当日小動神社を訪れた際、境内は祭りに関係してか法被を着た青少年が集まっていました。それを横目に見ながら奥へ進んだ先のの展望台はベンチ状の椅子があり、江の島を眺めながら休憩するのも良さそうだと思いました。残念ながら飲み物を買いそびれて休憩する所ではありませんでしたが。
参考
現地説明板(幕末相模湾の防備を固めた腰越八王子山遠見番所)
鎌倉市史 近世通史編
幕末相模湾の防備を固めた腰越八王子山遠見番所 – 鎌倉市公式webサイト