この日は昼頃に外出して東武日光線東武金崎駅から南西に3km強の場所にある三宮神社付近へ向かいました。
概要
三宮神社を南端として北の山林は神楽岡城と呼ばれる城郭があったとされていて、遺構が見受けられます。
神楽岡城散策
城域外~三宮神社




三宮神社周辺




主郭部






神楽岡城歴史
この城は室町時代に築かれたとする見方がありますが、築城者については定かで無いようです。
戦国時代には皆川城主皆川氏が宇都宮氏に対する備えとしての支城として用いた様です。
何度か宇都宮氏との戦いの舞台になったと言われています。
1588年、この頃は後北条氏の傘下であった皆川広照に対し、宇都宮国綱が佐竹義重の支援を受けて侵攻し陥落させられたそうです。
この一連の戦の後、落城した支城は双方とも用いる事なくそのまま廃城になったと思われます。
感想など
三宮神社から北に掛けて広がる山林が城域となっています。
一応下調べしてから訪れたのですが、三宮神社と北西にある鳥居を伴う祠の様な場所を間違えるなどして探索路を誤って時間を費やした事もあり、何とか主郭に到達した時には日没時間となっていたためすぐに切り上げざるを得ませんでした。もっとも山林に踏み入った時点で既に薄暗く、地形を把握するのも手間取る有り様で、遺構を確認するのも難しかったという事はあります。
また主郭周辺は山林ということもあって暗く、デジカメで撮った写真は手ブレしたものばかりであったためスマホで撮ったものを掲載しています。
参考
栃木県の中世城館跡
都賀町史 歴史編
栃木市史 通史編
