24/10/26 加曽利城

この日は昼過ぎに外出して千葉都市モノレール2号線小倉台駅から南へ2kmほどの場所にある高伝寺へ向かいました。

概要

この付近は加曽利城と呼ばれる城館があったとされていますが、明確な遺構は見受けられません。

加曽利城散策

高伝寺山門。
高伝寺本堂。
山門南側の道路西側の竹藪を見ると地形が高くなっている場所があったため、そこから竹藪に進入します。
竹藪内は思ったより起伏があります。
竹藪から道路方向を見下ろしますが、起伏があるため見通しが悪くなっています。
高伝寺境内東側の切通状の坂道。
東側から見た城域。
城域の東を流れる坂月川。

加曽利城歴史

この城館の来歴について詳細は定かでありません。
ただ平安時代末期、千葉常胤の孫である成胤が加曽利に居を置いて加曽利冠者と称したとされています。
しかし高伝寺から北西1.2km強の場所で現在加曽利中学校が建っている場所にあったとされる夕霧城と呼ばれる城郭が成胤の居館跡として有力視されている様なので、この城館が成胤の居館であったとは言い切ることは難しいと言えます。
仮に成胤の居館だったとしても、成胤が千葉氏当主になった時点で居館としては用いられなくなったものと思われます。

感想

上述の通り来歴は明確で無く、用いられた時代についても定かでありません。
さらに現状は明確な遺構が見受けられないため、どういった城館だったのか不明瞭と言えます。
ただかつては方形の土塁が廻っていたという話もある様ですが、現在ではほぼ遺構は残っていない事になりますが、高伝寺寺域の竹藪のどこかに遺構の残片が残っている可能性はありそうです。

参考

千葉市史 史料編 1 (原始古代中世)

余湖くんのホームページ

千葉市の町名考 – 千葉市地域情報デジタルアーカイブ(ADEAC)

千葉市の遺跡を歩く会

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください