21/9/25 桜町陣屋

この日は午前のうちに外出して、真岡鉄道寺内駅から東へ3.5kmほどの場所にある桜町陣屋へ向かいました。

概要

この桜町陣屋は江戸時代に旗本宇津氏の陣屋として築かれ、現在も遺構が残っています。

桜町陣屋散策

西側から陣屋跡を見ます。
陣屋西辺の土塁と堀跡。
陣屋南辺の土塁。
陣屋南側にある大手門は枡形になっています。
陣屋東南部にある主屋。
二宮尊徳が赴任した際に居住したと云います。
主屋前にある足洗池は二宮尊徳が使っていたとされてい様です。
陣屋東辺の堀跡。
隣接して土塁もあったはずですが、取り払われた物と思われます。
北東部の八幡宮跡と土塁。
主屋裏から北東側を見ます。
北東側から西(北西側)を見たもの。
砂利が敷かれている場所は堀跡の様です。
北辺西側の土塁と堀跡。
北西側にあったという文庫跡。

二宮尊徳記念館、二宮神社

陣屋跡の南東に隣接している二宮尊徳記念館。
緊急事態宣言のため臨時閉館中でした。
陣屋東側にある二宮神社鳥居と参道。
二宮神社社殿。

蓮城院

陣屋の南に位置している蓮城院の山門。
蓮城院にある二宮尊徳墓域。
娘や当時の領主である宇津之助も弔われているようです。

桜町陣屋歴史

この陣屋は1699年、旗本宇津教信によって築かれたそうです。
教信は小田原藩主大久保忠朝の三男に当り、小田原藩の飛び地から下野国芳賀郡の3村4000石を分知されて陣屋を築いたのだそうです。しかし教信自身は江戸務めだったため役人を派遣していた様です。
1823年、この頃は農村の疲弊により領地の実高は900石程度だったそうで、その状況を立て直すために本家である小田原藩主大久保忠真の命により二宮尊徳(金次郎)が派遣されてきます。
1836年、尊徳の働きにより実高は3000石ほどにまで回復した模様です。
その後明治維新によって陣屋は廃止された模様です。

感想

旗本陣屋という事で規模は大きくありませんが、二宮尊徳が居住したという主屋や土塁などの遺構などが公園として整備されて散策しやすい場所となっています。

参考

現地説明板

宇津教信 – wikipedia

桜町陣屋 – 真岡市公式サイト

余湖くんのお城のページ

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