21/2/20 戸崎城

経緯

この日は昼過ぎに外出して、JR久留里線小櫃駅から南西に2.5kmほどの場所へ向かいました。
しかし周辺にはたどり着いたものの、進入路が見つからず城域の北や西から進入路を試みるも道が無く、北側で最も可能性が高そうな場所に進入したものの、予想以上の藪に阻まれて退いた所で近隣の方に話を聞くことが出来ました。それによれば北や西も道はあったかも知れないが今は南側からしかないとの事だった為、教えられた赤い鳥居がある神社へ向かいますが。鳥居がある参道が即座に見つけられず既に日没時間になろうとしていた為にここでも通りがかりの方に神社の場所を聞いて到達出来ました。

携帯ナビに場所を設定する際、GoogleMapを参考にしましたが、その場所が北寄りにずれていたのが原因かも知れません。帰路で帰り道を案内すると南の俵田駅から2kmほどと出たのでそのルートで帰りました。
多分俵田駅からのルートが正解なので最短と思われる帰路のルートを載せておきます。

戸崎城散策

城域の東を流れる小櫃川を北から見たもの。
北側から見た城域遠景。
何とか到着した皇産霊神社鳥居。
既に日没時間でした。
神社境内にある標柱。
神社社殿裏手の道。
道の脇から空堀跡に降りたもの。
すっかり暗くなって写真を撮るのは困難な状況です。

戸崎城歴史

この城は里見氏によって築かれたとされているようで、戸崎玄蕃頭と呼ばれる城主がいたと言われているようです。
1588年、里見氏が万喜城の土岐氏を攻めていた間隙をついて侵攻してきた後北条氏の支配下に置かれた様です。
後北条氏は当城を足がかりに久留里城を攻めようとするも里見氏が守りを固めたため断念したと言われています。
1590年、小田原の役に際して、後北条氏は城を放棄して引き上げようとした所、里見氏はこれを追撃したとされています。
しかし同年、里見氏は上総を没収されて徳川家康が関東転封されると廃城になったようです。

感想

上記の通りたどり着くのに時間が掛かり、まともに探索する時間が有りませんでした。
下調べした際、さほど難しくないように見えたので詳しく調べなかったのが原因だったのかも知れません。
一応堀底から主郭土塁らしき所までよじ登ったのですが、暗くなって写真を撮れない状況であったため引き上げました。
近隣の方に道を教えて頂いたし、遺構も残っているようですので、いずれ再訪できればと思っています。

参考

日本城郭全集 3
余湖くんのお城のページ

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