この日は少し遅めに外出してJR横須賀線鎌倉駅から南へ2.5kmほどの場所にある住吉神社へ向かいました。
概要
住吉神社を含め正覚寺裏手の丘陵一帯は住吉城の跡と見られていますが、現在は開発によって破壊され遺構はほとんど残っていないようです。
住吉城散策
城域付近から見た材木座海岸周辺。
(左)西側から見た城域。
(右)住吉神社へ向かう道。
(左)住吉神社へ向かう途中の平場。
(右)住吉神社へ向かう道。
(左)住吉神社社殿。神社境内に土塁跡があるという情報を目にした気がしますが、それらしい物は確認出来ませんでした。
(右)社殿脇にある控えめな説明板。
住吉城歴史
1180年、石橋山合戦に際して源頼朝を助けるため出陣した三浦氏の軍勢は帰還する途中、この周辺で畠山重忠の軍勢と遭遇し戦になったと云われています。
1510年頃、北条早雲は相模進出の足がかりとして高麗山城とともに、住吉の古要塞を取り立てたとされています。
しかし直後住吉城は三浦氏の三浦義同に奪取されます。義同は住吉には弟である義教を置き、自らは岡崎城に入ったのだそうです。
1512年、早雲は岡崎城を落として義同を追撃し逃げ込んだ住吉城を落としたと云われ、その際に義教は討たれたのだそうです。
義同は新井城へ落ち延び籠城の末、1516年に落城。平安時代以来三浦半島周辺に勢力を誇った三浦氏は滅亡することになります。
感想
住吉神社を含め、正覚寺裏山一帯が城域とされています。
しかし主郭跡と見られる場所にはリゾートマンションが建てられるなど、著しく破壊されている模様です。
住吉神社以外にもかつての面影が残る場所もあるようですが、道が分かり難く断念しました。
また平塚市の山下長者屋敷とされる遺構が住吉城であるとする説もあるようです(神奈川中世城郭図鑑)。
参考
日本城郭全集 4
鎌倉遺構探索