※2/15 当城跡は今年4月末頃まで調査が行われている事を把握しましたので、一部修正しました。
昨日は昼頃に外出して、都営日暮里舎人ライナー見沼代親水公園駅から北西へ2kmほどの場所にある傑伝寺へ向かいました。
概要
この場所は太田道灌が築いたと云われている本郷城の跡とされており、遺構が僅かながら残っているそうです。
本郷城散策
南側から見た城域遠景。
傑伝寺参道の東側は元々雑木林で遺構らしきものが確認出来たようです。現在は調査が行われているそうです。
(左)城域の中心部と見られている傑伝寺。
(右)傑伝寺山門前から南側を見下ろします。
(左)城域の東側へ向かう道。右手側に遺構がああるようですが、平日の為、調査の作業員や重機が行き来していました。
(右)城域の東側を縦断している道の道筋は明治の頃から変わっていないようです。堀切などの名残である可能性はありそうです。
新屋敷
城域の西側にある赤井三丁目の高台は、戦前の地図では「新屋敷」と記載されています。
由来などは分かりませんが、何かしらの館などがあった可能性はあります。
(左)新屋敷西端部にある円通寺への上り道。
(右)円通寺山門。
(左)円通寺山門前から西側を見下ろします。
(右)新屋敷の南側を流れる毛長川。
本郷城歴史
この城がいつ頃築かれたのかはっきりしていませんが、太田道灌によって築かれたと云われているようですので、室町時代の15世紀頃と思われます。
道灌によって築かれた後、どのように用いられたのかは伝わっていないようです。
小田原の役後、後北条氏の旧臣で道灌の曾孫にあたる太田輝資は関東入封した徳川家康から仕官の誘いを受けますが、それを断りこの場所に隠遁生活を送ったのだそうです。
感想
この城の周囲は僅かに遺構らしきものが見受けられたのだそうです。
傑伝寺参道の東側が雑木林、藪になっていてフェンスで進入こそ出来ない物の土塁や空堀らしきものが見ることが出来るのだそうです。
しかし昨年末頃、下調べしていて遺構がどの辺りで確認出来るのかストリートビューで調べていたところ、木が伐採されている事に気付きました。
早めに行った方が良いと判断し、今回行って見ました。しかし調査中と言うことを知らず、微妙なタイミングとなってしまいました。
本格的に調査が始まる前が見やすかったかも知れません。