この日は遅めに外出して、小田急小田原線本厚木駅から南東へ700mほどの場所にある智音神社へ向かいました。
概要
この智音神社は厚木城の跡と言われ、現在も遺構とされるものが僅かに残っています。
厚木城散策
城跡と言われる智音神社の山門。
智音神社は最近まで智音寺だったそうで、資料や他のサイトなどでもそう記載されています。そのためか鳥居などはありません。
時間が遅めだったためか閉門していましたので、裏手から見てみることにしました。
西側の城域裏手から見たもの。
本堂裏手に菜園がありますが、やや低くなっており堀跡の名残と見られています。
城域北西から見たもの。
堀跡遺構とされるものは北側から西側に掛けて僅かに確認出来ます。
(左)城域北端には那須与一を祀った祠が建立されています。
(右)北西から見た城域遠景。
厚木城歴史
この城の詳細については分かっていないようです。
1440年の結城合戦で結城氏方について討死した厚木掃部介の居館とする見方もあるようですが、厚木氏は下野国芳賀氏の家臣とされています。
1536年、下野国厚木城主の厚木朝高は、主の芳賀高経が主家宇都宮氏に反旗を翻し宇都宮興綱を自害に追いやると芳賀氏の下から相模国厚木へ出奔し、後北条氏に仕えたとされます。
朝高は後に結城晴朝の家臣として下野国厚木城主に復帰しているようですので、厚木氏の館だったとすればごく短期間しか用いられなかったと思われます。
感想
今回は西側の道路沿いから見ただけでしたが、それでも残存している遺構とされるものは大体見ることが出来たと思います。
参考
神奈川県中世城郭図鑑
厚木氏 – wikipedia
城郭図鑑