昨日は昼過ぎに外出して、東武小泉線小泉町駅から西へ1km足らずの場所にある城之内公園へ向かいました。
概要
この城之内公園は小泉城の跡で、現在は本曲輪の遺構が良く残っています。
小泉城散策
(左)東から見た城域遠景。
(右)城之内公園入り口。
(左)公園北端側残る土塁。これは本曲輪などを取り巻いていた三の曲輪のものだそうです。
(中)土塁の北側に残る外堀。三の曲輪土塁と外堀は北辺のものだけが残っています。
(右)土塁上から僅かに残った三の曲輪跡を見ます。
(左)公園北西部には庚申塚(左手側)と城之内古墳(右手側)が残っています。
(中)内堀。かつては本曲輪と二の曲輪を取り巻いていたのだそうですが、現在は本曲輪部分だけが残っています。
(右)内堀の水は常に入れ替えられているようです。
(左)説明板。
(中)本曲輪虎口。
(右)本曲輪虎口前、説明板がある近辺はニの曲輪跡だそうですが、こちらは駐車場などになっていて面影がありません。
(左)本曲輪北側土塁。
(中)本曲輪南側土塁。
(右)本曲輪内にある城跡碑。
(左)本曲輪西側土塁上から曲輪内を見ます。
(中)本曲輪北東の突き出た櫓台状の箇所。
(右)本曲輪南西部の折れが入っている箇所。
小泉城歴史
この城は1489年、富岡直光によって築かれたと云われ、富岡氏代々の居城として用いられたとされています。
直光は1440年の結城合戦で戦死した結城久朝の息子と云われていて、古河公方より所領を与えられて築城したのだそうです。
直光の孫である秀信は関東へ進出してきた上杉謙信に従います。
しかし近隣の由良氏や成田氏後北条氏方に鞍替えしたため争う中、後ろ盾を得るため後北条氏に従います。
その前後の1569年頃、秀信の子である秀親が成田氏との戦で戦死しています。
秀親には跡継ぎがいなかったため、結城氏の出である小山氏当主の息子重朝(秀高)を養子として迎え入れます。
1584年、佐竹氏、宇都宮氏ら反後北条の領主は由良氏、足利長尾氏らを寝返らせると小泉城に攻め寄せてきます。
秀高は後北条氏の支援を受けてこれを撃退します。
1590年、この時の城主は秀高の子秀長でしたが、小田原の役に際しては小田原城に入っていたようです。そして城は豊臣方の浅野長政らの軍に包囲され開城、その後廃城となったようです。