この日は昼過ぎに外出して、JR横浜線中山駅から北西に1kmほど歩いた所にある舊城寺へ。
ここは榎下城があった場所で現在も多少の遺構が残されています。
(左)北側から見た城域。
(中)舊城寺山門。内側は榎下城虎口です。
(右)虎口跡付近の説明板。もっと新しい説明板も傍にあったりしますが、あえてこちらを載せてみたり。
(左)二の郭跡である境内周辺の土塁遺構らしきもの。
(中)本堂付近から裏手の主郭跡を見ます。
(右)主郭入り口。これ以上は進まず引き返しています。
(左)城域西側の路地は空堀跡の名残と思われます。
(右)城域北西側の入り口らしき物。城域北側の的場に続いているものと思われます。
この城は室町時代永享年間に宅間上杉氏の上杉憲清が築いたと言われています。
憲清の子憲直は幕府と関東公方の争いである永享の乱において、関東公方持氏についてこの城に拠りますが、幕府軍に攻められて城から落ち延びて自害します。
その後城の詳細は分かっていませんが、後北条氏の時代には拠点の一つである小机城の出城として利用されてたと考えられているようです。
そして慶長年間には城域に舊城寺が開かれて現在に至っています。