この日は昼過ぎに外出し、東武野田線梅郷駅から北東に5kmほどの場所にある木野崎城跡へ。
散策に出るのは震災などもあったので約一ヶ月ぶりでした。
この場所に標柱がありますが、集落が堀の名残らしき水路に囲まれている特徴的な地勢です。
(左)城域南側から見た遠景。ちなみにこの写真を撮った後、大きめの地震がありました。
(中)城域西側の水路。城域の集落は、堀の名残らしき水路が囲んでいます。
(右)城域南側。かつての大手門と思われる辺りを見た物。本当はあの場所から進入したかったのですが、近くの民家で犬が吠えていたので断念して西側から城域に入りました。
(左)西側から城域に入る道。
(中)城域中央北側にある標柱。
(右)城域北側にある天満宮。地元の人が言うには村の鎮守との事です。
この城の築城時期は分かっていないようですが、古河公方家に仕えた幸手一色氏の城だったようです。
1590年の小田原の役に際して、一色義直は豊臣方につき浅野吉長の軍に所属します。その後関東に入った徳川家康に旗本として仕え、幸手5160石を安堵されました。
その後義直は木野崎に転封となりこの城を居城とし、大阪冬の陣には徳川方として伏見城を守備したのだそうです。
1698年に義直の曾孫に当たる義与の代に三河国設楽郡に転封となり木野崎城は廃城となりました。