この日は昼過ぎに外出して京急久里浜駅から北に1kmほどの場所にある怒田城跡へ。
(左)南側から見た城域遠景。
(中)城域入り口。
(右)入り口の道を登った所にある土塁らしき盛土。
(左)城域曲輪内。所々にある説明板は吉井貝塚遺跡の物です。
(中)主郭手前にある空堀跡。ほぼ埋まっています。
(右)主郭跡。
この城は平安末期に在地豪族の三浦氏によって築かれたと見られています。
地形を活かした天然の要害で、三浦氏の本拠である衣笠城の支城としての役割を持っていたとされています。
1180年、伊豆で挙兵した源頼朝に付いた三浦氏は石橋山の戦いで敗れた頼朝を安房へ逃します。
しかし平氏側の畠山重忠率いる軍勢が攻めてきたため衣笠城で迎え撃ち敗れます。
その際に一族の和田義盛は怒田城で迎え撃つように進言したが受け入れられなかったとされています。
衣笠城陥落後三浦氏も安房へ逃れ、頼朝が鎌倉幕府を開くと三浦氏は再び衣笠城を本拠とします。
しかし執権北条氏と対立した三浦氏は1247年宝治合戦で北条氏、安達氏らに討たれ怒田城は衣笠城とともに廃城になったとされています。