09/5/9 岩橋城

この日は昼頃から京成線で宗吾参道駅で下車して西へ徒歩十分程で目的地の岩橋城付近へ到着しました。

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(左)宗吾参道駅ホームから見た岩橋城遠景。丘の右手方向、北側に城があります。

(中)城域東の斜面を登ります。

(右)丘陵東側の稜線を辿って城域へ向かいます。

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(左)虎口は南側にありますが単純なものです。

(中)郭内。この城は単郭式のようです。

(右)郭北側の土塁。この向こう側には堀切があります。

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(左)郭内西側土塁。

(中)東側の土塁。

(右)東側土塁の向こう側には平場があります。腰曲輪でしょうか?
ちなみに写真の場所で蛇に遭遇しました。グスクも含めて散策中に蛇に遭うのは初めてのことです。

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(左)城域北側の堀切。

(中)堀切から宗吾参道駅を見ます。

(右)城域北側はこのように道が走っています。

岩橋城の詳細は分からない部分も多いようですが、馬加(まくわり)康胤の息子、輔胤(1421~1492)の居館があったと言われているようです。
構造的に館でも差し支えはありませんし、輔胤は岩橋輔胤との呼ばれていることから可能性はありそうです。
輔胤は後に千葉氏当主となり本佐倉城を築き、そこに移ったと言われています。

ただ康胤と輔胤の血縁関係や輔胤が実際に当主だったかどうかなど、色々と異論が出ている人物のようです。

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帰る前に宗吾霊堂付近まで立ち寄って見ました。本来は東勝寺と呼ぶようです。

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コメント

  1. […] この一連の騒動の結果、千葉氏宗家は滅亡。生き残った者は武蔵国に落ち延び武蔵千葉氏となります。 そして討伐された康胤親子に代わり岩橋城主の岩橋輔胤が千葉氏当主となります。 […]

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