さて、中途半端な国吉グスクの記事だけでは個人的に物足りませんので。もうひとつ行きたいと思います。
これも、上グスク、国吉グスク同様再挑戦である糸満市真壁の「真壁グスク」です。
これは案内板と、展望台へとまっすぐ進む道です。
しかしこの道沿いには遺構のようなものは発見できません。あるのかもしれませんが、雑草が深くて確認は困難です。
そこで真壁神宮寺の手前のわき道から展望台を目指します。木が比較的多い道ですが、他のグスクと比べれば歩きやすいです(そりゃ公園だから・・・)。
頭上では鳥と思われる奇妙な泣き声が聞こえます。
さて、わき道で迂回して展望台への階段に差し掛かると、両側になんと、石積みのようなものが・・・
このグスクでようやく遺構発見です。いままで雑草だらけとか言って悪かった、などと心の中で思ってみたりします。
さて、例によって展望台からの眺めです。
展望台だけあって見晴らしは良いです。
このグスクは南山グスクの出城として築かれたようです。案内板にも大まかに記されていますが、ここは手元の資料を参考にしたいと思います。
このグスクは十三、四世紀に真壁按司によって築かれたと見られているようです。
このグスクの伝承ですが、真壁按司は見事な毛並みを持つ白馬を飼っていたそうです。その話は近隣の村などに伝わり、諸按司たちはその白馬を譲ってもらおうと真壁按司の許を訪れますが、白馬を愛してやまない真壁按司はそれに応じようとはしませんでした。国頭按司もその一人でしたが、やはり断られてしまいます。
いったんは帰った国頭按司ですが、あきらめ切れません。
それ以来真壁按司と国頭按司の中は険悪になり、ついに戦にまで発展します。
馬のために大軍を率いた国頭按司に対し、真壁按司は弟の垣花按司(多分玉城の垣花グスクとは関係ありません)に応援を求め、応戦するもともに敗れて滅びてしまいました。
国頭按司の手に渡った白馬ですが、それ以来何も口にせず衰弱死してしまいます。
その後、真壁按司の子孫が、按司が最後を迎えた地を歩いていたところ、宙に浮いている石を発見します。これは霊石として祭られ、それが真壁神宮寺となったそうです。
<参考-沖縄のグスクめぐり(むぎ社)>
コメント
馬1頭のために大軍・・・。
こんなことしてしまうのもやっぱりこの時代だったからなんでしょうね。トップに立つ人間が小さいことで我侭を通そうとするっていうか・・。
馬と言えば三国志に出てくる赤兎馬を思い出します。私は歴史は苦手なんですが三国志は割と好きで高校の頃はまったんですよぅ。
えっと、赤兎馬は最初は呂布が乗ってたんだったかな。その後曹操の手に渡り関羽に贈られ、主を乗せて戦国の世を走り回ったんです。
数いる豪傑と一緒に名前が残るなんて大した馬です。
真壁按司の白馬もさぞかし良い馬だったんでしょうね。国頭按司の手に渡ってから何も食べずに死んでしまったなんて、哀しいお話ですが感動してしまいます。
>まぁきぃさん
確かに馬一頭から大軍はやりすぎですね・・・
ちなみに自分もこの話で赤兎馬のことを思い浮かべましたね。
関羽の死後、呉の武将の手に渡った後、衰弱死したところまで似ています。
名馬は主を選ぶのでしょう。