今回紹介するのは西原町幸地の「幸地グスク」です。
前回紹介したチチンタグスクの北側に位置しています。
高い木が印象的なグスク遠景。
晴天と言う事もあり、なんとも開放的な光景です。この広場はグスクの馬場跡といわれているようです。
グスク内の道を進むと拝所があります。
その先には「遊び庭」跡といわれる小さなスペースがあります。
遊び庭跡にはグスクカーの跡が二つあります。
今は埋まっているようです。
左が北側の光景。右が南側の光景。
右の写真の右側の丘はチチンタグスクでしょうか。
伝承によれば、伊波按司の二代目から分家したものがこの地にやってきてグスクを築き、幸地按司と称したといわれているようです。
幸地按司は武勇に優れ周囲から恐れられていたそうです。ある時、隣村を治めていたチチンタグスクの津喜武多按司とのいさかいが起こり、策謀を持って滅ぼします。(詳細は前回の記事)
津喜武多按司の父である今帰仁按司は怒り、大軍を率いて幸地グスクへ向かってきました。
大軍を相手にしては勝てないと考えた按司は、戦わず、今帰仁按司に罪を詫びて許しを乞うと、城内で歓待の宴を催します。
すっかり寄って帰途に着いた今帰仁按司ですが、帰る途中に幸地按司の軍に襲われます。酔いや油断のためか今帰仁按司の軍は壊滅、按司も討たれてしまいました。
今帰仁按司には四人の息子がいて、その息子達が軍を挙げると、さすがの幸地按司も滅びたのだそうです。
また幸地按司は東方の棚原グスクでも女性がらみの伝承を残しています・・・好色な人物だったようです。