なぜか階段が印象に残る 「江洲グスク」

皆さんおはようございます。

さて今回からグスク紹介はうるま市具志川に入ります。本当なら5ケ所回る予定だったのですが・・・(後略)

それでは最初は「江洲グスク」です。ここも中原小学校の辺りを散々探し回りました。結局小学校の裏の辺りだったのですが。

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左の写真はグスク入り口への道です。この時点ではここがグスクかははっきりしていません。

右の写真、雑草に埋もれかけた標識を起こして、ここがグスクであると確信します。Tシャツに種がつきましたが・・・

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コンクリ製の階段があり、その両側には時折岩や石積みが見えます。

中には拝所もあります。

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階段の頂上には墓があります。江洲按司の墓だそうです。

このグスクは尚巴志の六男で、1543年に起こった王位争い「志魯・布里の乱」で死亡した布里王子の居城だったといわれているそうです(この事はいずれ詳しく)。また一説には尚泰久王の一族三代の居城とも・・・

また墓の主である江洲按司が住んでいたとも言われているようです。江洲按司は伊波グスクの分家で武勇に優れていたそうで、中山王に乞われて首里に移り住んだそうです。

<参考―沖縄のグスクめぐり(むぎ社)>

それだったら、江洲按司のあとに布里王子→尚泰久王の一族でもありではないかと思うのですが・・・多分時期的にも問題ないでしょう。尚泰久王は「志魯・布里の乱」を受けて即位しましたので、その子や孫が住んだと言うのは充分ありえます。

しかしこのグスクを訪れた時点で午後四時を回っていたのはかなりきついですね。予定は既に崩れていたのだと思います。

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