皆さんこんばんは。
今日は出かけたついでに以前しくじった(通り過ぎた)浦添城跡と伊祖グスクを見てきました。この事はいずれまた・・・
さて、今回は日曜日にグスクロードで最後に回った『糸数グスク』です。『玉城グスク』から、グスクロード公園の前も通り抜けてまっすぐ進むと、なにやら観光用の建物があって突き当たりになります。この辺りには戦跡として『アブチラガマ』が近くにありますが、その辺りに緩やかな上り坂があって『糸数城跡』とかかれた小さな立て札があります。危うく見落とす所でした。とりあえず坂を上って少し進みますと、少し開けた場所がどうやら駐車スペースのようですが。この辺りですでに石垣が見えます。
結構立派な城壁です。南部では一番優れた部類になると思われます。
この辺りの城壁だけを見れば世界遺産クラスに引けをとらないと思いたいところですが・・・
それにしても写真取り捲りました・・・ここでこき使ってもバッテリは持ちましたね・・・取った枚数は26枚。さすがに全部は乗っけられませんので選んで載せたいと思います。
写真の数からも分かりかと思いますが、やっぱり内心でははしゃいでいたのでしょう。小学校の修学旅行で今帰仁グスクに行ったとき、はしゃいで駆け回っているのを同級生に「何興奮してる」と言われた事を思い出したり・・・
これは城門ですね、グスクの入り口とは別のところにあります。城壁のように派手に積んではいませんが、しっかりとした印象を受けます。
このグスクを最後に訪れたのはたまたまですが、結果的には『メイン』になったように思えます。面積も結構ありましたので時間も掛けました。
この辺りは城壁の傍も石が積まれていて歩きにくいところです。
ちなみにあちこちに『石垣登るな』と書かれた立て看板があります。
ちなみにこれは城壁の外側です。外側にも僅かに何かあるようでしたが・・・
奥のほうはこのような感じで開けています。これだけのグスクですから、訪れる人も結構います。
他の人たちは地元(と思われる)のオジーとなにやら話し込んでいます。自分が近づくと「あんたはどこから?」との質問、答えますと「近いねー」そりゃ遠くはありませんが・・・
他にも様々な話が、新原(ミーバル)ビーチ近くの受水走水(ウキンジュハインジュ、ビーチ近くにある湧き水)には稲が植えられているだとかそう言った様な話です。残念なことに方言が中心ですので半分も分からなかったような・・・「沖縄の人が沖縄のこと知らないでどうするかねー」といったような言葉も・・・全くその通りです。自分がこのブログを立ち上げた理由の一つも似たようなことですから。
やはりここも例に漏れず見晴らしはいいです。やはりグスクは全体的に高いところに築かれるのですね。
このグスクの築城年代は不明ですが、一説によれば三山時代に玉城グスクの玉城按司が三男を糸数按司に封じて創建といわれているようです。
その後、三山統一後も糸数按司は中山に服しなかったようです。それどころかグスクをさらに増強していたようで、怪力で知られた配下を資材調達のために国頭へ派遣したようです。そうなりますとこれ幸いと中山の命を受けた真和志間切の上間按司に攻め込まれ、防戦一方となった糸数軍は敗れて落城、配下も急いで戻った所を討たれた・・・そう言った伝承があるようですが・・・突込みどころがいくつもあるので信憑性は・・・どうでしょうか。
とにかく、グスクロードを回って、その最後は少し考えさせられました。グスク探訪、時間に余裕があれば地道に続けようかと思います。
コメント
ここは立派な城壁が形を残してますね。
見学しがいがありそうです。
それにしても昔話には必ず「怪力の家来」が出てきますね。
>まぁきぃさん
確かにこの手の話と言うのは良くありますね・・・
自分の地元でも、やはり怪力の武将がいて云々というのがありますので、昔話と受け止めたほうが良いかもしれません。