18/12/21 大相模氏館

昨日は昼過ぎに外出して、JR武蔵野線越谷レイクタウン駅から北へ1kmほどの場所に向かいました。

概要

この付近は大相模氏の館と言われていて、現在も末裔の方が居住しているのだそうです。

大相模氏館散策


南から見た城域遠景。
結果的に北のみどり自治会館付近まで行きましたが、西側の住宅が城域のようです。

(左)城域南辺にある土塁跡。土塁跡には「従是東忍領」と記された石碑が立っています。
(右)土塁跡を西側から見たもの。
土塁跡の辺りは住宅の敷地外に見えますが、私有地にも見えますので見るだけにしています。

城域西辺の暗渠になった水路はかつての堀跡とする見方もあります。

大相模氏館歴史

この館がいつ頃築かれたのかはっきり分かっていません。
武蔵七党の一つ、野与党の流れを汲む大蔵経長の曾孫能高が居館を置き、大相模氏と称したと言われています。
能高はについても詳細は不明ですが、12世紀の平安末から鎌倉時代にかけての人物と見られています。
その後の大相模氏についても詳細は分かっていませんが、1729年には中村氏と改称して現在に至っている模様です。

感想など

現在も末裔の方が居住されているとのことなので、土塁跡を見た程度ですが、周辺には中村氏の墓所や移築旧宅などがあるそうで時間があればそれなりに見どころはあると言えます。
また、東の大相模小学校付近にあったという宇田家屋敷も合わせてみる時間があればって所でしょうか。

城域の南にある大相模調整池はレイクタウン整備にさいして造成されたようです。

参考

古城址探訪
戦と古戦場
栃木の城+α

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