16/7/2 丸山城

昨日は少し遅目に外出して、小田急線伊勢原駅から北東へ1.5kmほどにある丸山城址公園へ向かいました。

その名前の通り、この周辺は丸山城があった場所で、城址公園には遺構が残っています。

(左)城域の南を流れる渋田川。城址公園から少し離れていますが、城域はもっと広かった為、天然の水堀として用いられたと考えられます。
(中)西から見た城址公園遠景。
(右)城址公園東側の入口。

(左)城址公園内の曲輪へ向かう上り道。この辺りの城塁は横矢が掛かっています。
(中)曲輪内。
(右)曲輪北側の土塁。

(左)曲輪北側の空堀跡。
(右)曲輪北側の土塁を外側から見たもの。

(左)曲輪西側の横矢が掛かっている箇所。
(中)その箇所の曲輪内には土塁が残っています。
(右)曲輪にある説明板。

(左)城址公園の南にある高部屋神社。この辺りも城域だそうですが、現在周辺は宅地化され面影はありません。
(右)高部屋神社拝殿。

(左)高部屋神社から更に南下し、渋田川対岸へ渡り、川沿いに東へ進むと「太田道灌公霊地」の看板があります。
(中)太田道灌の墓。太田道灌の菩提寺である大慈寺裏手にあたります。また、城の西方3kmほどの場所にある糟屋館は道灌が暗殺された場所で、そこにも墓があるのだそうです。
(右)説明板。

城域の西端とされている場所にある、東海大医学部附属病院を南東から見ます。

この城がいつ頃築かれたかなどははっきり分かっていません。
鎌倉幕府の御家人、糟屋有季によって築かれたと云う伝承があるようですが、現在残っている遺構は鎌倉時代のものとは考え難い事と、扇谷上杉氏の居館とされる糟屋館に近いことから館を守る為の拠点、あるいは糟屋館その物では無いかと比定する見方もある模様です。

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