15/9/26 神奈川台場

今日は夕方前に外出して横浜駅から北東へ1.4kmほどの場所にある神奈川台場跡へ。

台場跡の遺構は復元された石垣が僅かにあるだけです。

説明板。

石垣。

この台場は幕末の1860年、この沿岸を幕命によって警備していた伊予松山藩によって築かれたのだそうです。
設計は勝海舟によるものだそうです。
1867年には伊予松山藩に替わり古河藩が警備を担当するものの翌68年には明治政府に引き渡されます。
明治時代では海軍の管轄だったようで横須賀鎮守府が警備を担当した模様です。
1899年には廃止され、大正期頃から周辺も埋め立てられて現在に至っているようです。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

  1. […] 城がいつまで用いられたかはっきり分かっておらず、政盛が敗れた際に廃城になった可能性もあります。 その後幕末期には神奈川台場を築くために土取りをされ、地形も失われた模様です。 […]

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください