14/2/1 古河公方館

今日は本当はもっと遠出の予定でしたが、ナビとして必要なスマホのバッテリーが切れかかっていたため充電して予定変更しました。
昼過ぎに出てJR宇都宮線古河駅から南西2kmほどの場所にある古河総合公園へ。

この一角に古河公方館があります。

古河総合公園南側にある古河公方館を東から見た遠景。

古河公方館はの東にある民家園。
この辺りはニの曲輪だったと見られているようです。

館跡がある半島状地形を取り巻く御所池越しに、南からみた遠景。
御所池は公園整備に伴って復元された物だそうです。
当然水堀としての役割があったでしょう。

虎口付近。空堀、土塁などの遺構が見られます。
写真の右側に史跡碑などがありましたが、なぜか撮り忘れていました。


説明板。

曲輪内は結構広く、御所は立てられそうです。

この館は1455年に初代古河公方足利成氏によって築かれたのだそうです。
関東に享徳の乱を引き起こした成氏は本拠地だった鎌倉を幕府軍の今川範忠に抑えられたため、鎌倉へ戻ることを断念し古河の鴻巣に御所を置きます。

その後1458年に成氏は古河城を改修して移り、鴻巣の御所は別館扱いだったようです。

しかし1590年に最後の古河公方である足利氏姫は豊臣秀吉より古河城の立退きを命じられて鴻巣の御所に移ります。
1593年に氏姫は秀吉より小弓公方足利義明の孫である頼氏との婚姻を命じられます。
頼氏は下野喜連川に移り喜連川藩を開きますが、氏姫は息子義親夫妻とその子尊信とともに古河に残り1620年に没します。
1630年に喜連川藩主の頼氏が没すると尊信は跡を継ぐために喜連川に移ったため廃館となったようです。

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