13/12/30 多和目城

今日は昼ごろに出て東武越生線川角駅から南西2kmほどの場所にある城山配水池へ。
ここは多和目城があった場所で僅かですが遺構も残っています。

城域入り口付近。入り口脇には標柱と説明板があります。
少しキツ目の勾配を2、3分ほど登ると頂上で市内最高所だそうです。

説明板。
城の歴史について詳細は分かっていませんが、1524年関東管領上杉氏は当時後北条氏傘下となっていた毛呂氏の居城毛呂城を攻略するため出兵しますが、その際に毛呂城の東に位置するこの城を攻撃したという伝承が残っているようです。
また北条氏尭の支配下にあったという記録もあるようです。


現地説明板に従うならば右手側の配水池方面がかつての外曲輪、左手側がかつての本曲輪のようです。
主な曲輪は2つで、他に腰曲輪があった模様です。
また現在の道が曲輪間の堀跡かはまでは分かりません。

道の終端部である城域南端の虎口はL字型の土塁で囲まれた枡形となっています。
南側の高麗川方面が地形も険しいように見えることから、こちらからの攻撃を主に想定した構造なのでしょうか。

道の終端から北側を見たもの。

本曲輪内。
一応道らしき物はありますが、ほぼ埋もれています。


道を通り抜けた先、本曲輪北側にある土塁の痕跡とされる遺構。
高さは30cmほど。

城跡としての雰囲気はありますが、一部を残して遺構が確認しづらい程になっているのが少し残念ではありますが、標柱などがあって進入路を間違えずに済んだのはありがたい事でした。

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