10/10/23 小西城

この日は昼頃に外出し、外房線大網駅で降りました。
この日は小西城の現地説明会があったため駅前から送迎バスで移動することが出来ました。
小西城は圏央道建設に伴う発掘調査が行われています。
どうやら城域の破壊が免れることは出来ない模様です。

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(左)西側から見た城域遠景。

(中)城域へ向かう道。

(右)北側から城域入り口を見ます。

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(左)城域に入ると外城、中城と呼ばれる二つの曲輪があります。

(中)外城と中城間の空堀。

(右)中城には曲輪を縦断する空堀があったそうです。

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(左)本城(主郭)北側の堀。

(中)本城入り口。しかしこれは本来の遺構ではないのだそうです。

(右)本城西側の堀と土塁。そして本城本来の虎口があります。

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(左)本城内。建物跡なども発見されているそうです。

(中)本城虎口から本来の進入路である土塁を見下ろします。

(右)本城から見ることが出来る古城と呼ばれる独立した曲輪。古い段階の城と見られているようですが、規模としては小さく見えます。

この城は15世紀頃に千葉氏重臣の原氏によって築かれたとされています。
築城した人物は原胤定とされていますが、原胤継を始祖とする小西原氏は土気、東金の両酒井氏に接していました。
1517年、原氏宗家の本拠地である小弓城は足利義明の攻撃を受けます。
この時小西城主である胤継が守備軍の総大将を務めるものの敗れ、胤継の一族である友胤は息子と共に甲斐に逃れ武田氏に仕えています。
その友胤の息子は活躍目覚しく、主君の武田信虎から虎の字を偏諱し虎胤と名乗っています。
小西城の方はと言えば原氏が属する千葉氏は後北条氏の影響下にありましたが、小西城に接する両酒井氏は時には後北条方につき時には里見氏に付いたため情勢は安定しなかったと思われます。

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