ひたすら散策

先々週末の日曜日(10/25)にいつものように散策でした。

思えば今月入って船橋市のみですね、今回もですが・・・
日が西に大分傾いた辺りに快晴の空の下散策開始しました。

花輪城跡

まずは京成線船橋競馬場下車で北へ向かうこと約10分。
船橋市宮本の花輪城跡です。
流山に同名の城跡がありましたが・・・
周囲からは松の木がやたら多い高台で分かりやすかったですが、茂呂神社は城域の南西にあたると言う事で、神社の北にある宮本中学校なども含めて高台一帯が城跡だったのでしょう。
現在は茂呂神社に僅かな遺構があります。

この城跡について記しているのはは昭和九年に発表された調査報告書のみで、その頃はかなり良好な城跡だったようです。
宅地開発で大半が消失したものと思われます。

ちなみに築城者やその他についてはわかっていないようです。

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(左)花輪城跡がある茂呂神社入り口。遠目には松の木が多い高台と言ったところです。

(右)茂呂神社参道。左手の盛り土は土塁跡で、その脇に空堀跡の道があります。神社は少し高くなっていて、背後は石段です。

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(左)空堀跡の道。土塁跡も多少残っているので分かりやすいです。
(右)神社社殿西側の道。手前は平場になっていて郭の名残と言う向きもあるようです。奥の盛り土も遺構と考えられているようです。

船橋城跡

茂呂神社での散策を終え、少し時間がありそうだったので場所を移すことに。

北へ歩く事約20分、船橋市中央卸市場付近へ。
この付近には船橋城跡があったと言われています。
しかし根拠は殆どありません。

遺構や伝承が皆無であることから、「土豪の屋敷があった」とか「西の海老川を天然の水堀にしていた」とか「そもそも城跡は無かった」など色々言われているようです。

僅かな根拠としてはこの辺りに「城ノ腰」と言う地名があること。大正六年の測量図に城のマークと共に「城の腰松」と表記されていることがあります。

ただもともと「城の腰」という地名は宮本近辺にあったそうで、「城の腰松」はその辺りから運ばれてきたようです。

そういえば宮本の茂呂神社(花輪城跡)には松が多くありましたが・・・

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(左)中央卸市場駐車場内。かつて城の腰松があったと言われる辺り。現在は、昭和十八年飛行機部品工場爆発事故犠牲者を弔った鎮魂碑と将門松の碑があります。
(中)将門松の碑と松の木。ここにはかつて松の巨木があって、平将門がその根元に腰を下ろしたという言い伝えがあるのだそうです。
(右)中央卸市場の西を流れる海老川。ここに城があったのならこれを利用しない手は無いでしょう。

夏見城跡(再訪)

船橋市中央卸市場近辺を見たところで・・・ふと「そう言えばこの辺りからだと長福寺(夏見城跡)は近いのでは」と思い、携帯のナビで確認すると徒歩で約十分。

そういう訳で北に向かって歩く事に。
この時午後四時四十分、何とか日没には着くかも、などと思っていましたが。

海老川を渡り、東葉高速線の高架下を通り抜けて目的地付近に来た頃には日没していました。

それでもとりあえず目的地に行ってみることに。
薄暗い状態で長福寺本堂裏を通り抜け敷地の一角にある土塁を間を通ると一段と暗いです。

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(左)南から見た長福寺(夏見城跡)遠景。周りは薄暗くなっています。
(中)長福寺敷地の一角にある郭入口。両側は土塁です。
(右)郭西側の土塁。写真でははっきり見えませんが、120cm~140cm位の高さはありそうでした。

前回はここまでは来ませんでしたので遺構を確認できただけでも良しとします。

城跡以外の写真。

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(左)吉岡地区の住宅街で見た猫。周辺には猫が多くいました。

(中)市場地区北側、海老川河畔の水田。

(右)海老川に掛かる鷹匠橋。木造です。

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