かつては中部の要所ですが・・・「越来グスク」

では今回は沖縄市城前町の越来グスクです。

周りの住宅は一方通行が多くて結構わかりにくいです。

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 グスクは現在「城前児童公園」になっています。

 公園自体は入り口から一通り見渡せる程度の広さです・・・奥のほうが少し高くなっています。

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 公園入り口脇には鳥居と殿があり、その脇に拝所があります。これが無ければただの児童公園です。

 それから奥の高台へコンクリート製のベンチらしきものがあり、その奥に木が生い茂った岩が・・・登ってみます。

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 岩をよじ登るとそこには石が並んだ拝所があります。

 グスク最高所からの眺めは意外にいいです。本来はこの高さだったのでしょう。

 このグスクは中部の要所だったようで、第一尚氏の時代には尚泰久・尚徳と後に国王になる人物が城主になっています。後に第二尚氏王統を打ち立てる金丸も当時越来王子だった尚泰久に仕官しています。

 さらに護佐丸・阿麻和利の乱で活躍した鬼大城が越来地頭職について城主にもなっています。

 鬼大城が知花グスクで殺害された後、第二尚氏の時代になると初代国王である尚円王の弟であった尚宣威が城主になっています。彼も尚円王没後国王に即位しています。(在位半年)

 このように琉球史に名を残す人物達に関連してきたグスクだったわけです。遺構も戦前は建物以外は健在だったそうです。

 しかし米軍の砲撃で大打撃を受け、戦後は道路工事のために石が持ち出され、さらに米軍に敷きならされて資材置き場になったようで、完全に止めを刺されます。その時にこのような地形になったのでしょうか?

 今の状態では案内板などが無ければ分りませんが・・・

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