南山王家支流が住んだ? 「南グスク」

浜比嘉島を後にしたあと、平安座島を経て宮城島へと向かいます。左の写真は平安座島と宮城島も間です。一見川か池のようですが、色を見るとやはり海です。こういうのも海峡になるのでしょうか・・・

そのあと散々道に迷って目印と言われている岩の側を通りますが、その後も入り口が非常に分りにくいと言う罠が待っていました。

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グスクへの道は畑に紛れている上に標識が無いので分りにくいです。雑草踏みしめて奥へ進むと左右に岩のある天然の城門があります。

それを通り抜けわき道に入ると(道を間違えたとも言います)水溜りのようなものが・・・

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元の道に戻って歩きます。 歩きにくいと言う事はありませんが、木が茂っていて林道と言った雰囲気です。

やがて郭らしき広場に出ました。少し高くなっていまして拝所が見えます。

段差付近には僅かながら石積みが見られます。

この場所は屋敷があったということで、グスクの中心だったのでしょう。拝所の脇から奥へ進む道があるので進んで見ます。

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奥へ進む道は今までと比べやや雑草が茂っている印象です。道を進むと右手に岩の割れ目が・・・しかし狭すぎて通れません。

道をまっすぐ進むとブロックが階段状に並べられています。訪れる人がいるのでしょう。

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上には墓が・・・このグスクには按司墓があるそうですが、これがそうでしょうか。

このグスクに居していた宮城按司は南山王家の支流だそうですが、1429年の南山滅亡時に落ち延びてきたのだそうです。

非常に目立たないうえに、どちらかと言えば小規模なグスクですから、もしかしたら隠れ家的なグスクだったのかもしれません。

参考 沖縄のグスクめぐり(むぎ社)

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コメント

  1. より:

    最近このブログを知りました。私もちまちま?とグ…
    最近このブログを知りました。私もちまちま?とグスクをまわりを続けています。グスクの位置確認の困難さなど、似たような体験をしているので親近感を感じているところです。去年のいつごろの記事だったかはわからなくなってしまいましたが、多多名グスク(糸満市)の記事、私も同じ思いをしました。やっと入り口の標識を見つけたまではよかったのですが、道を相当奥に進むと、不法投棄?の廃材と廃土の山で、行く手がふさがれ、入り口が全くわからない状態でした。グスクの数が多すぎて手がまわらないかとも思いますが、どうにかならないかとの思い、同感です。

  2. T・ランタ より:

    >野さん
    コメントありがとうございます。
    確かに無名のグスクとなると場所の特定からして難しくなりますね。

    多多名グスクについてはきちんとできるはずなのにやっていない、と言う印象でした。

    おそらくあの道の敷地側では「管理する必要なし」と考えているのでしょう。
    グスクへ通じる道は一本しかありませんから道ぐらい確保して欲しいです。

    同感していただきありがとうございます。

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