16/6/18 池和田城

昨日は午前に外出して、散策ついでに大原から五井の房総横断してみました。
その際に房総横断記念乗車券を購入しましたが、当然普通に大原五井間の運賃で乗るよりは安く途中下車も出来ますが、フリー乗車券と違い戻る事は出来ません。

(左)いすみ鉄道、小湊鉄道の接続駅である上総中野駅にて
(右)目的地最寄りの上総鶴舞駅。大正時代の営業開始された時からの駅舎だそうで、関東の駅百選に選ばれた事もあるのだそうです。

そして小湊鉄道上総鶴舞駅から東へ1kmほどにある天神社へ。

ここは池和田城があった場所だそうです。

(左)西から見た城域遠景。
(中)城域北東にある切り通しはかつての堀切を利用した物のようです。
(右)城域北東側、切り通しの南端付近にある入り口。主郭にある天神社への参道となっています。

(左)登城道。
(中)登城道にある古井戸。今も水は出ていて、周辺はその水でぬかるみがちです。
(右)主郭にある天神社。

(左)主郭土塁。
(右)主郭の周囲は藪になっていて、他の郭へ向かうのは厳しいようです。空堀跡もあるようですが確認出来ませんでした。

(左)城域北西側にある切り通しを登って行きます。
(中)切り通しを抜けると腰曲輪跡らしき複数の平場があります。
(右)更に進んだ場所にある平場。どうやらニ郭前の平場だったようですが、その時はすぐに切り上げてしまいました。

ちなみに予想外の暑さにすっかりやられて体調を崩し、帰って寝込むハメになりました。
もう少し探索出来る余地はあったように見えるので残念です。

この城がいつ頃築かれたかはっきりしていないようです。

確かな所では戦国時代には多賀氏が城主を務めていて、庁南武田氏の傘下だったようですが、後に武田氏と共に里見氏の傘下に加わっています。
1564年、里見氏が第二次国府台合戦で後北条氏に大敗すると、北条軍は里見氏の勢力圏となっていた上総に侵攻してきます。
そして城にも北条軍が攻めてきますが、城主多賀高明は国府台で戦死していて高明の息子である蔵人、兵庫尉の兄弟が籠城するも討たれて落城したのだそうです。
その後庁南武田氏が後北条氏に鞍替えし、北条方の城となります。
1590年の小田原の役に際しては後北条氏家臣の内藤大和守が城主だったそうですが、豊臣軍に攻められて落城しそのまま廃城になったのだそうです。

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