14/7/21 伊奈陣屋

今日は昼過ぎに外出し、埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)丸山駅の南東にある伊奈陣屋へ行ってきました。


丸山駅方面から見た城域。
前に見える高架は東北新幹線の物です。


裏門跡付近にある標柱と説明板。


説明板。


説明板後方の雑木林を覗きこんだ物。
空堀跡があるのは確認出来ましたが、探索はせず。


裏門から城域へ入った道路。


丸山駅から1km近くあるいた場所にある二の丸跡。
現在保存、整備されているのはここだけです。
ここには詳細な案内板らしき物がありましたが、すっかり風化していました。


二の丸に至る直前の道は本丸の堀跡でもあったようです。
一応土塁跡らしきものも見受けられます。


東側から見た二の丸跡。
その奥に見えるのは本丸のようです。


表門跡。
説明板があり、付近には水堀跡もあります。


水堀跡。
夏場だからか、草木が生い茂ってちょっとひどい事になっています。


南側、原市沼川対岸から見た城域。

この陣屋は徳川家康家臣であった伊奈忠次が1590年に築いた物だそうですが、元々岩槻太田氏の持ち城があったとも言われているようです。
三河の土豪であった伊奈氏は松平氏に仕えていましたが、忠次の父忠家は1563年の三河一向一揆に加わるなどして離反していました。
しかし忠次は本能寺の変に際して、家康が堺から脱出する際に功績を上げて帰参を許されました。
その後は小田原の役などで輸送や街道整備などといった任務で功績を上げ、家康が関東に移封されると足立郡小室、鴻巣など1万石を与えられ武蔵小室藩を立藩、小室に陣屋を築きます。
それと同時に関東郡代(関東代官)に任じられ、関東に置ける幕府直轄領を行政を担う事となります。
しかし武蔵小室藩主としての伊奈氏は3代目忠勝が1619年に僅か9歳で早世したため無嗣断絶。
このため陣屋としては廃城になったと思われますが、忠勝の弟で家督を継いで旗本となった忠隆が陣屋跡の本丸付近にしばらく居を置いていたとされているようです。
関東郡代としての伊奈氏は忠次の次男で赤山陣屋に居していた、忠治の系統に引き継がれていったのだそうです。

以前から調べた段階で散策しづらいイメージがあった場所なので、道なりに見ていくだけの散策となりました。

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