10/5/3 2010GW(3) 土浦城

水戸から帰りながら、常磐線土浦駅で途中下車。
目的地である土浦城址は駅から北西に7、800mほどの場所にあります。
しかし城の中心だった亀城公園に向かう前に周囲を散策します。

Tsuchiura011_2 Tsuchiura014 Tsuchiura018 (左)土浦城周辺は土浦宿と呼ばれた宿場町の名残が残っています。

(中)亀城公園南の幼稚園脇の大手門跡。

(右)東光院裏手の土塁跡。

Tsuchiura030 Tsuchiura020 Tsuchiura031 (左)城域の中心にある亀城公園。写真は本丸水堀と東櫓。

(中)二の丸入り口に置かれている前川門。元々は北の多計郭に置かれていたものを移築したのだそうです。

(右)二の丸内。本丸と比べると結構広いです。

Tsuchiura037 Tsuchiura041 Tsuchiura044 (左)二の丸水堀と土塁。公園化に伴って結構改変されているようです。

(中)本丸南側にある現存の櫓門。太鼓櫓と呼ばれているようです。

(右)本丸内。土塁なども含めてやや小じんまりとした印象。

Tsuchiura056 Tsuchiura045_2 Tsuchiura052 (左)本丸北側にある霞門。こちらも現存のようで門の前は枡形になっています。

(中)本丸内の東櫓。中は歴史に関する展示物があります。

(右)同じく本丸内の西櫓。老朽化と1949年のキティ台風で損壊したため解体したものを近年復元したのだそうです。

この城は室町時代に小田城の小田氏に属する若泉三郎が築いたのが始まりとされています。戦国時代に入り1516年に城主若泉五郎左衛門は小田氏の将である菅谷勝貞に攻められ滅亡します。

城は一時信太範定が城主を務めた後菅谷勝貞が城主をなります。
しかし佐竹氏らとの抗争が劣勢となり小田城を奪われた小田氏当主の居城となります。
その後小田氏は旧領奪還の戦を続け、小田城を奪還するも再度奪取されるといったことをしていましたが、やがて土浦城も佐竹氏の攻撃に晒されることとなり、ついに佐竹氏に従属することになります。
その後小田氏は後北条氏と結んで佐竹氏に対し旧領奪還を戦を仕掛けるも、それが原因で小田原の役後に所領を没収されて大名として滅亡しました。

徳川家康が関東に入った際に土浦城は結城秀康に与えられて結城領の支城とされました。
秀康が越前に転封されると松平信一が土浦3万5千石に入封されます。城が現在の形になったのは松平氏の頃のようです。
その松平氏が二代で転封されると土浦藩主は西尾氏、朽木氏、土屋氏といずれも二代で転封されることになります。
しかし土屋政直の後に入った松平信興がわずか5年で大阪城代となると再度政直が土浦に入封。その後明治まで土屋氏が主を務めましした。
土屋氏による土浦の支配は政直の父である数直から数えると11代に及びます。

廃藩置県後城は廃城となり、本丸は役所として使用されますが明治17年の火災で門と西櫓を残して消失した後は公園化され現在に至っているようです。

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