雑木林

先週末土曜日に千葉県鎌ケ谷市へ行きました。

東武野田線六実駅でおりて、10分ほどで目的地の佐津間城跡付近、かつての城域の南端にあたる「大宮神社」に到着。
その前で写真を撮っていると、付近の住民と思われる人に声を掛けられました。
軽く会話した後散策開始。

大宮神社をざっと見た後、北で説明板を発見。
しかし案内板付近から見ても、木が生い茂っている様子が見えます。
しかも主郭入り口は東側にあるようですが、そちら側は私有地に見えます・・・実際のところは不明ですが。

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(左)城域南端の大宮神社。

(中)案内板から北西の主郭を見ます。見るからに木が茂っています。

(右)案内板から城域を横断している道を見ます。道の左手(南)の住宅の辺りもかつて郭があったようです。

主郭西側の住宅地裏手に空堀が広がっているのを見つけたので、空堀を渡って主郭へ到達。

この城跡は主郭のみ良く残っていますが、その遺構はなかなかです。
郭は土塁で囲まれ、北、西、南は空堀で囲まれています。
特に南側の空堀は崖とも思える深さ。

しかし手が付けられた形跡が無く森と化しています。
関東では今まで見た中で一番鬱蒼としているかも知れません。蚊が予想以上に多かったです・・・

この地域は鎌倉時代「薩摩」と呼ばれ、南北朝時代を経て室町時代応永年間頃までは相馬氏、相馬岡田氏が支配していたと見られているようです。

その後戦国時代に入ると相馬氏の勢力が衰え、高城氏がこの辺りを支配したと見られ、この城は高城氏に属する在地の領主、あるいは豪族によって築かれたと見られているようです。

ちなみに鎌ケ谷市では唯一確認されている城跡のようです。
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(左)主郭西側空堀。櫓台が出っ張って、その部分は曲がっています。

(中)主郭西側土塁上で北側を見ます、左手側が登ってきた空堀。土塁の先に少し高まった櫓台があります。

(右)主郭内、周囲は土塁で囲まれています。正直、土塁の上を歩いたほうが郭の全体を見渡しやすいかも知れません。

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(左)主郭西側には小さな祠がありますが、荒れた感じがします。

(中)主郭南東にある虎口。ここから外に出たら民家敷地らしいところで出たので中に引き返しました。

(右)主郭北側土塁から北を見ます。こちらには外郭があったようですが、今では畑に変わっています。

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