住宅地に遺構を求める 前編

先週末の土曜日、天気はいまいちでしたが散策に出たのは、調べていたら行きたくなったから・・・です。
近場だから多少出るのが遅くても大丈夫だろう、という考えもありました。

そういう訳で京成の市川真間駅から北へ歩く事約20分で目的地付近へ到着しました。

千葉県市川市国分の国分城跡です。

その後多少手間取りながらも目的地である城跡の遺構へ。
下総国分寺の南東の住宅地の一角にある盛り土が城跡の土塁であるわけです。

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(左)(中)虎口。両側を土塁に挟まれる構造ですが、右手側の土塁は住宅やフェンスに阻まれてこちらからは見えません。

(右)虎口の南側に隣接している腰郭跡、草木が茂っています。

国分城の歴史は古く、発祥は平安末~鎌倉初期にさかのぼると言われています。

千葉常胤の五男、胤通がこの地を与えられて国分五郎と名乗ったと言われています。

国分氏そのものの勢力は戦国時代には後退して国分寺付近は小金の高城氏の勢力下にあったと見られているようです。
その頃の国分城は国分寺も取り込んだ大規模なもので、現在残っている遺構もその頃のものだそうです。

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(左)一の郭現況。まっすぐ行くと松香園に突き当たり、右手側の路地より櫓台へ行けます。

(中)櫓台跡、本来なら虎口脇のものです。

(右)松香園前より国分寺を見ます。右手側が一の郭跡、左手側の松香園が二の郭跡、右手奥の宝珠院が三の郭跡、正面の国分寺が四の郭跡です。

ちなみに虎口に入った場所が一の郭、そこから西にまっすぐ進んで松香園付近が二の郭、宝珠院付近が三の郭、国分寺付近が四の郭だそうです。

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Ichikawa_015_1 (左)縄張り南端部より、右側は二の郭跡。高さがあります。

(右)下総国分寺門、この中にも遺構があるようですが・・・

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